「どの子供も同じようにかわいい」はウソだと思う

下の子が生まれてもうすぐ10ヶ月。
体の発達はのんびりだけど、自己主張はしっかり出て意思表示も上手。
耳が聞こえないのかもと心配した上の子とちがって
ダメ!といえば動きが止まり、名前を呼べば振り返る。
(上の子は何かに夢中で怒鳴っても1歳半過ぎまで反応ゼロが多かった・・・)

もう何度も書いているけれど下の子は上の子と比べてすごく楽。
子育てしていないも同然と思うほど。
苦労はそれなにりあるけど苦労のレベルが上の子と桁違いで、
とにかく可愛くて楽しくてどうしましょう、という感じ。
この子がひとりめだったら写真入りブログなんか始めちゃっていたかも。

ふたりめを考えたときに子供を同じように愛せるか、
ひとりめの子がかわいすぎて次の子も同じように愛せるか心配という
声をたまに聞きます。
自分の場合は上の子がかわいいけれどものすごく大変で、
もうひとりも同じような子を想像していたのでそういう心配はしませんでした。
(元気すぎな子がふたり集まれば子供同士で発散してもらえると期待してました。)

タイトルの「子供を同じように愛せるか」わたしはノーだと思います。
だって子供はひとりひとり違うのだから、「同じように愛する」なんて無理。
どの子も愛しいけれどどうやってその子に接するかは違って当たり前。
どの子がいちばん好きか順位をつけろ、と言われてもつけられません。
どちらもかわいいんです。どの子もいちばん大事で愛していると断言できます。
ただ、しつこいですが上の子はとにかく手がかかる。笑

育てにくい子、育てやすい子というのは確かにあります。
虐待や無理心中をする人の気持ちがわかる気がする、と思うほどに
煮詰まっているときはわたしもギリギリ。
大変な時に受け止めてくれる人、愚痴や悩みを聞いてくれる人、
発散できるブログ、子供をすこしでも面倒みてくれる夫や友人。
たくさんの人たちに支えられているからやっていける。
子供を愛せない、という人はつらい状況のなかで自分を責めて
外部に助けを求められない人が追い詰められてそうなってしまうのかな、と思います。

そして「手がかかる子ほど愛しい」というのもわたしは違うと思います。
上の子も下の子もかわいいし愛しいと思う。その愛しさの内容がぜんぜん違う。
どんな子が生まれてくるのか、選べないし、この先どう成長していくのかわからない。
最近は思わぬところで上の子のやさしい気持ちに触れて感動することもたくさん。
後悔することもたくさん。もちろん怒ることもたくさん。
それでもわたしは今のところ子供たちともオットとも仲良しだと思います。

自分の子供として生まれてきた子たちだけれど、
40歳近くも年が離れているけれど、ひとりの人間対人間として、
託された大事な子供だと思って一緒に毎日を過ごしたいです。