こどもチャレンジをやらない理由・・・しまじろうが嫌いです

こどもチャレンジをやっているお友達ってわたしのまわりにもいますし、いただいたオモチャのなかにソレもちらほら混じっていて子供たちはけっこう好きだったりもするのですがわが家は迷うことなくやらないことに決めました。

好きな方、ごめんなさい。やめたほうがいいと薦めるつもりはぜんぜんありません。あくまでもわたしの考え方です。でも動画を何本か見ただけで実際やりもせずに言いたい放題なので好きな方は読んだら腹が立つかもしれません。なのでこの先はそれでもなぜやりたくないかを知りたい、読みたいという方だけお読みください。

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こどもチャレンジを避けたい理由

理由は見た目や話し方など、いい子キャラクターとしてのしまじろうが嫌いだから(わたしが)というのもありますが、もっと他にも理由がいろいろあります。理由を順番に書いて見ましょう。

小さな子供にテレビやビデオを見せこと自体に抵抗がある

小さな子供にテレビやビデオを見せるのに抵抗がある日本ではあまり問題にされていないようですが、先進国のなかには3歳までは極力見せないようにと指導されているところもあります。

テレビ(動画)は自然の中で五感を使って感じられる以上にスピードが速くて刺激が強いと思います。子供はもちろん大好きですが、だからといって2、3歳の子に動画を繰り返し見せることはあまりいいとは思えない。

現実の出来事は一度しか起こらず、起これば何かが変わっている。何かが、誰かが関わっている。刺激の強いリアリティのない世界に浸ることは現実世界との関わり方に悪い影響が出るような気がします。

テレビの前に立つ子供

幼い子にはテレビやビデオで学ぶより自分の住む世界を自分の目で広げてほしい。小さいうちから土、植物、虫、動物に触れて5感を通して自然からたくさん学んでほしいです。現実の自分の世界を自分の五感で体験し、成長とともに広げていくことが大切だと考えます。

カタツムリと男の子

アメリカ式で幼児から小学校までの子供に教育にかかわっている親しい友人がいるのですが、彼と話しても現場の感覚としてタブレットどころか、動画をみせて乳幼児に教育することのメリットを感じないと言います。

子供が食いつくように仕掛けがたくさん

友人の家にもこどもチャレンジをやっている人はいるので、おもちゃが沢山あるお宅もあります。子供はたしかにいろんな仕掛けがされたおもちゃが大好き。音が鳴ったり、よく考えて細かく作りこんであったり。なるほど、と関心するようなおもちゃが多いのも事実です。

だからといってそんな子供の好きな物を研究しつくした既製品のおもちゃや教材を与えるということ自体にわたしは抵抗があります。欲しいおもちゃがないから作ろう、ではなく与えられたもので満足して遊ぶだけは、子供にとってよいのか疑問を感じます。

子供に好きな物だけを選んで食べさせていたら、必ずしも健康な食生活ができるわけではない、というのと同じで、子供が好むおもちゃだけを与えるのが子供の教育にいいとは思いません。

余計なオモチャを増やしたくない

余計なオモチャを増やしたくない例えばおままごとはお砂やレゴブロックでもできるし、どんぐりを拾って転がしたり、コップに入れたり、割ってみたり。買ったオモチャ以外でもいろんな物でこどもは遊びます。欲しいおもちゃがなければ工夫をして作るのは頭を使う練習になります。

定期的に決まったオモチャが送られてくるということが嫌です。しかもそれを日本全国の同じくらいの月齢の子供たちが受け取っているという事実も”子供をベルトコンベアで育てる”みたいな感がありなんだか怖いと思ってしまいます。

木製レール

わたしが子供に与えたいおもちゃは、なるべく木のおもちゃ。やさしい絵の絵本。子供一人が使って壊れて捨てるようなものでなく、家族で代々使えるような丁寧に作られたしっかりした物。おもちゃはすぐに壊れるものだから安い使い捨て、では寂しいです。

型にはまった「いい子」になってほしくない

型にはまった「いい子」になってほしくない自分の気持ち、他人の気持ちを考えられる子になってほしい。みんながこうするのがいいと思っているから、と理由を理解できないまま考えないまま「いい子」であろうとする子になってほしくない。それをビデオや本を使って小さいうちに「刷り込む」というのが嫌です。

いい子すぎるしまじろうが嫌い

しまじろうが嫌いというのは、見た目としてあのキャラクターがあまりかわいいと思えなくて苦手というのもありますが年齢の割りに現実味がない「いい子さ」が嫌いです。3とも重複します。大人からみたいい子だけが将来社会で必要な優秀な大人になるのでしょうか。子供の頃の自由な発想や個性が大人になってから開花することだってあります。

本物の虎の親子

↑しまじろう親子ではなく本物の虎の親子。

いい子ちゃんを演じてきて、成人してから不安に襲われ精神のバランスを崩す人たちも何人も見てきました。いい子であろうとするよりも、将来自立した大人になってもらいたい。学校の成績は悪くても義務教育を全うし、その後は自分自身を受け入れてたくましく生きていける人間になってほしいです。

しっかり自分で考える大人になるために

独身の頃には仕事で二十歳前後の将来有望なはずの学生さんや若い人たちと接する機会もあったのですが、いろいろ考えさせられる事が多かったです。物心ついたころからインターネットがあって、パソコンでさっと調べたらなんでもわかる世代の人たちは、このブログの読者にもたくさんいると思うんですけど、それを上手に現実と分けられる人もいれば悪いように作用しているように見える人もいる。

震災の後もいろんなことを考えました。いろんな電気製品が溢れている便利な時代だけど人間は自然の恵みを受けなければ生きられない小さな存在であることに変わりはない。改めて物を大切にし、無駄をできるだけ省いて生きたいと思いました。

わたしたち夫婦の友人や、状況からいって、うちの子は今もこの先もいろんな国の人と接しながら大きくなっていき、将来どの国に住むのかを自分で選ぶと思います。日本人だから、日本的な考え方や人付き合いを学ぶことはとても大切ですが、海外でもやっていける子になってほしい。幼児期から型にはめて言うことを聞く人間を育てる教育は必要ありません。何も考えずにただメディアに流されてお金を稼いで物を買っては捨てる生活には慣れてほしくありません。

いい子を工場で量産するような安易な教育システムには魅力も必要も感じません。多少はみだしても自分の頭で考える子になってほしいです。学歴だけは平均よりも高めだけど明らかに社会からはみだしている人の考えですから、こんな風に考える人もいる、ということでご容赦ください。